Brand History

ビレロイ&ボッホの歴史

ビレロイ&ボッホ社(Villeroy & Boch AG)の創業から今に至るまでの270余年の歴史をご紹介いたします。

1748年
ボッホ家により創業

後期バロック時代、鋳鉄職人であったドイツ人フランソワ・ボッホは、新たなキャリアとしてヨーロッパ中心部の自治国家ロレーヌ公国のオーダン・ル・ティッシュにおいて、3人の息子(ジャン=フランソワ、ドミニク、ピエール=ジョセフ)と共に陶製テーブルウェアの製造を開始します。
ここにビレロイ & ボッホ社が誕生します。

1766年
ルクセンブルクで新たな大きな一歩を

当時貴重品として人気のあった白い陶磁器製作のための原料となる土をオーストリア領ルクセンブルクから輸入していました。
3人の息子たちは、ロレーヌがフランス領となり様々な特権が適応されなくなったことを機に
ルクセンブルクのセットフォンテーンに新しい陶磁器工場を設立し、そこから大量生産への大きな一歩を踏み出したのです。
時の女帝、ハプスブルグ家マリア・テレジアの庇護を受け、「王室御用達」(Manufacture Impériale et Royale)として王家の紋章を付することを許可されます。

1770年
「オールドルクセンブルク」発表

1770 年にピエール=ジョセフが発表した「ブランディーユ」を原型とする「オールドルクセンブルク」は、現存する最も歴史ある柄で、今でもビレロイ & ボッホの定番商品として多くの方に愛されています。

1791年
ニコラ・ビレロイが陶磁器工場を設立

実業家のニコラ・ビレロイは、ザール河沿いの町ヴァラーファンゲンの陶磁器工場を買収します。
当時既に成功したビジネスマンであったビレロイは、イギリスとフランスから専門家を招き入れ、1815年には製品をより手ごろな価格で提供できる銅版印刷を成功させるなど、生産工程の工業化に尽力しました。
ビレロイは石炭を燃料として使った最初の陶器製造業者のひとりでもあります。

1809年
ベネディクト寺院の買取

ジャン=フランソワ・ボッホはザール河沿いのメトラッハにあるベネディクト寺院を買い取り、機械化された製造システムを導入して、高度で近代的な陶磁器工場へと造りかえます。
世界で初めて水力ろくろを導入し、効率化のみならず森林保護を考慮し窯の火入れに石炭を使用するなど手作業による陶磁器製造が工業生産に取って代わられる道が開かれました。
バロック様式の建物は、ビレロイ&ボッホの本社として今でも使用されています。

1812年
社会貢献活動

ピエール=ジョセフは、19世紀初頭の起業家の先駆者の1人です。
彼はセットフォンテーンで働く職人のため「アントニウス組合」を設立。従業員と起業が拠出金を払い病気、事故、障害をカバーする包括的な社会保障は、70年後にドイツ宰相ビスマルクがドイツ初の社会保険制度を定めた際のモデルとなり、それによりボッホ家は貴族の爵位も与えられました。
また、1857年には、ニコラ・ビレロイの娘レオニー夫婦は、困窮する家族を支援するためのソフィートラストを設立しました。

1829年
品質向上から生み出された硬質陶器

ボッホ家の3代目ジャン=フランソワ・ボッホにより陶器の品質が決定的に飛躍を遂げました。
パリの理科大学で学んだこの起業家は、真っ白で非常に硬い硬質陶器の開発に成功しました。
磁器に似た見た目でありながら、かなり安価に供給することを可能にしたため、貴族だけが手にできる希少で高価な白く硬い陶磁器が、幅広い層の人々が手に入れられるものとなったのです。
1822年にベルリンで開催された最初のプロイセン貿易博覧会で、ボッホ家は金メダルを受賞し、その後も国内外で数々の賞を授与していきます。

1836年
ボッホ家とビレロイ家の合併~ビレロイ&ボッホ社設立

競争が激化するヨーロッパの陶磁器市場において確固たる地位を築き、特にイギリス企業と対峙するため
ジャン=フランソワ・ボッホとニコラ・ビレロイは各々が所有していた3つの工場(メトラッハ、セットフォンテーン、ヴァラーファンゲン)を合併し、ビレロイ&ボッホ社を設立します。
創造力、企業家精神、革新力、生産能力などの双方の強みを生かしたこの合併は、19世紀初のグローバル企業へと導きます。

1842年
ビジネスパートナーから真の家族へ

ジャン=フランソワ・ボッホの息子オイゲン・フォン・ボッホと、ニコラ・ビレロイの孫娘オクタビー・ビレロイが自然と恋に落ちやがて結婚。金婚式を迎えるほど長く、仲睦まじく暮らしました。
このふたりの結婚により、ボッホ家とビレロイ家はビジネスパートナーから真の家族となりました。
グラスのシリーズにもある「オクタビー」は、ビレロイ&ボッホの幸せの象徴です。

1843年
企業戦略としての幅広い商品群

1843 年、ビレロイ & ボッホはワダガッセンにクリスタル工場を設立し、食器だけでない幅広い品ぞろえの基礎を築きます。それがドイツ国内にとどまらない急激な市場拡大へ繋がるのです。
1847年からは、パリ、ワルシャワ、ロンドンへ。またロシア、スカンジナビア、イタリア、スペイン、ギリシャ、スイス、トルコまで。1850年ごろからは、大西洋を越え南北アメリカへ輸出されました。

1851年
世界万国博覧会への出展

ロンドン万博への参加企業として、経済大臣によりビレロイ&ボッホが選ばれました。
ボーンチャイナや精巧に装飾された陶器で作られた革新的な日常食器や装飾陶器を展示し、好評を博しました。
1876 年のフィラデルフィア、1878 年と1900年のパリ、1893年のシカゴ、1901 年のサンクトペテルブルク、1904年のセントルイスなど、19世紀から20世紀初頭にかけての万博への一連の名誉ある出展の始まりです。

1852年
「メトラッハタイル」の製造開始

考古学者がメトラッハ近郊でローマ時代のモザイクタイルを発見しボッホ家の4代目オイゲン・フォン・ボッホはその修復を任されました。
この考古学的発見に触発された彼と技術者たちは、熱心に材料の研究を重ね驚異的な耐摩耗性とセンセーショナルな美しさを兼ね備えた製造プロセスを開発しました。
1852年に製造されたこれらのタイルは「メトラッハタイル」として世界中で大成功を収めます。
その後世界最大のタイル工場となり、その製品は世界遺産に登録されているケルン大聖堂や、タイタニック号の高級船室の浴室タイルにも採用されるに至ります。

1856年
開かれた輸出市場

オイゲン・フォン・ボッホはドレスデンに陶器工場を設立し、輸出市場の開拓をさらに進めます。
タイルも製造し店舗内装を手掛けたことから評判となり、そのうちのひとつドレスデン乳製品工場は現代では市内最大の観光名所のひとつとなっています。
メトラッハの陶磁器ミュージアムには手作業で手塗りされたタイルで飾られたカフェが再現されており、歴史的な空間を体験していただけます。

1876年
装飾品と衛生陶器の製造に本格参入

ヴァラーファンゲン工場で、ビレロイ&ボッホ初の衛生陶器の製造が開始されます。
シンデレラ城のモデル、ノイシュバンシュタイン城を建てたことでも有名な“白鳥王”ルードヴィッヒ2世のために製造したことをきっかけに、競合他社に先駆け衛生陶器部門の業務拡大を行いました。
これにより、ビレロイ&ボッホの創造性が広く市場に認められることとなります。

1879年
芸術的なテラコッタ製品

ビレロイ&ボッホはメルツィヒの陶器工場を買収して近代化し、新たな製品ラインである芸術的なテラコッタ製品を発売しました。
素材の改良に成功し、その堅牢性と耐候性は天然石を含む他の建築材料よりも優れており世界中で販売された建築装飾は大聖堂、銀行、城などの名高い建物に使用されています。

1888年
フィンセント・ファン・ゴッホとの親交

当時、著名な芸術家と交流のあったユージン・ボッホは、友人であるフィンセント・ファン・ゴッホにより深い友情の証として肖像画に描かれており、現在パリのオルセー美術館に展示されています。
ゴッホは旅の際、常にこの「詩人」と題された絵を携えていたと言われています。
ゴッホの死後、義妹からこの絵を贈られたユージンは 、1942年にルーブル美術館に遺贈しました。

1890年
大規模プロジェクト事業の開始

19世紀に修復された、国家的象徴として高い価値を持つケルン大聖堂の1,300平方メートルにも及ぶ床モザイクを制作しました。
建設分野でも、モスクワのボリショイ劇場やレーゲンスブルクのトゥルン・タクシス公爵城など、世界中の数多くの名高い建物がビレロイ&ボッホの製品を使用して建設または装備されています。

1920年
第一次世界大戦とその後

第一次世界大戦の後、ザール地方はドイツ帝国から分離されドイツ市場への供給ができなくなったためボン、トルガウ、ブレスラウの工場を購入しました。
同年、米国ニューヨークとニュージャージーの間のハドソン川の下に建設されたホランドトンネルではビレロイ&ボッホより10,000平方メートルのタイルが供給されました。

1930年
バウハウスとアールデコ様式デザインの台頭

合理的で機能主義的なバウハウス スタイルとエレガントで豪華なアールデコスタイルは、20年~30年代のデザインの主流となり、ビレロイ&ボッホの製品ラインにも反映されています。
1900年代初頭には、バウハウスの前身組織である「Kunstgewerbliche Seminar」の創設者であるヘンリー ファン デ フェルデが同社のデザインを手掛けています。

1959年
陶磁器の新素材の開発成功

ルクセンブルクのセットフォンテーンで、釉薬のガラス質に特徴がある陶磁器が製造開始されます。
この素材は硬くて傷がつきにくいため、ホテルやレストラン、ケータリング業界でも多く使用されました。さらにこの素材を改良し、洗練された白さを実現し優れた機能性を持ち合わせたファイン ビルボ チャイナの開発に成功します。

1971年
海外へ向けての輸出促進~そして日本、アメリカへ

この時期、日本へ向けても大量に製品が輸出され、また同時に米国向けも強化されました。
一族の子孫でデザイナーでもあるヘレン・フォン・ボッホは、極東にインスピレーションを得て非常にモダンなシリーズを制作しました。最もよく知られているのはクーゲル(地球儀)です。
多くのピースからなるこの球体はディナーセットで構成されており、この仕上げには最高レベルの技術が必要とされました。

1976年
ビレロイ&ボッホ初のボーンチャイナシリーズ発表

ビレロイ&ボッホは、ゼルプにある伝統的なハインリッヒ陶磁器工場を吸収合併することで高品質の商品生産の幅を広げます。1980年以降この工場ではボーン チャイナを製造しており、ビレロイ&ボッホはヨーロッパ大陸でボーンチャイナを販売した初のブランドとなりました。

1980年
教皇用の食器の製造

1955年以来ローマ教皇や名だたる王朝に食器を納めてきたハインリッヒの伝統を引き継ぎ、教皇の食器を製造しています。
ヴェンドリン・フォン・ボッホは、1980年にヨハネ・パウロ2世と、2007年にはベネディクト16世との私的な謁見の際、食器を贈呈しています。

1982年
会社の再編

建設業界の長期にわたる停滞と小売部門の著しい集中化を考慮して再編されたビレロイ&ボッホは、タイル、衛生陶器、食器/クリスタルの 3 つの部門で、新たな基盤を築きました。
顧客サポートと供給にはいち早くセントラルコントロールが取り入れたことにより、迅速かつ柔軟に対応し、顧客のニーズに細心の注意を払って対応することができるようになりました。

1986年
ミックス&マッチによる新たな市場開拓と活性化

社会の変化と単身世帯の増加により、新しいライフスタイルと消費者習慣が生まれ、食器業界にも影響を及ぼしました。
この変化したライフスタイルへ対応するため発表されたのが、革新的なミックス&マッチコンセプト。
パターンを自由に組み合わせ、常に新しい食卓の雰囲気を作り出すことができます。
まったく新しい発想のミックス&マッチ製品は、世界的に大成功をおさめました。
このコンセプトは今日に至るまで、とりわけ現代の食器デザインに強い影響を与え続けています。

1987年
デザイナーとのコラボレーション

ビレロイ&ボッホは株式会社に転換され、Villeroy & Boch AGとなります。また当時最も有名なデザイナーのひとりであったパロマ ピカソとのコラボレーションが始まり、ジュエリー分野での彼女の成功の原点を食器のデザインへ反映しています。
20世紀後半には、キース・ヒアリング、コンラン、ケンゾー、草間彌生など、国際的に有名なデザイナーともコレボレーションを実現しています。

1989年
ホテル&レストラン用食器の拡大

業務用食器の製造に特化した 2 番目の食器工場を、ルクセンブルクで操業しました。
ビレロイ&ボッホは、現在ホテルおよびケータリング向け食器業界で最も成功したサプライヤーの1社に数えられています。
4つの異なるライフスタイル向け製品と特別なカスタムメイドのデザインにより急激に拡大し、今ではヨーロッパ、アメリカ、アジアの高級ホテルやレストランを中心に、全世界で使用されています。

1990年
ビレロイ&ボッホの株式市場上場

フランクフルト証券取引所へ上場し、株式の公開を果たしました。
資本市場への開放は、新たな段階への足掛かりとなりました。

1998年
創立250周年と「The House of Villeroy & Boch」コンセプト

メトラッハで行われた250周年を祝う大規模な祝賀会には、当時の連邦首相ヘルムート コール連邦首相、ルクセンブルクのジャン クロード ユンカー首相、フランスのストロス カーン財務大臣などヨーロッパの多くの主要政治家が参加しました。
同年、創業家8代目のヴェンドリン フォン ボッホが取締役会長に任命され、 マーケティングコンセプト「The House of Villeroy & Boch」のもと、生産重視の陶磁器メーカーからライフスタイルを提案するブランドへと転換されました。

2002年
メトラッハ・セラミックミュージアムの現代展示コンセプト

メトラッハ・セラミックミュージアムは、膨大な陶磁器コレクションの新たな拠点となりました。
ビレロイ&ボッホ社の伝統と現代性を紹介する展示コンセプトのもと、過去 4 世紀にわたる貴重な作品が一堂に会し、人々のライフスタイルの変化を直接体験することができます。

2005年
イノベーションの象徴「ニューウェイブ」

「ニューウェイブカフェ」のデザインと製造技術により、ドイツ産業技術革新賞を受賞しました。
この受賞は、革新的な活動が国際市場での成功とブランドイメージにとって重要な位置を占めるという企業戦略を裏付けるもので、いつの時代も最先端を走り続けてきたブランドの精神が生み出した結果です。

2018年
Factory N°09 プロジェクトの完成

「革新的でテクノロジー化された空間における歴史と現代的な環境の優れた組み合わせ」を目指し取り組んできたFactory N°09 プロジェクトが完成しました。
多様な作業スペースを備えた新しい建物は、従来のオフィス構造から脱却し、 各活動に合わせてカスタマイズされた約4,000平方メートルの作業スペースを設けています。

2018年
ドイツ連邦大統領の訪問

2018年3月、ザールラント州への初訪問の一環として、フランク=ヴァルター・シュタインマイヤー連邦大統領が妻のエルケ・ビューデンベンダー氏とともに当社を訪れ、ガイド付きツアーでブランドの歴史について学ばれました。
また、新しい労働環境に関する最新のトピックも大統領に共有されました。

2019年
Factory N°09 プロジェクトの受賞

ベルリンの Zentraler Immobilien Ausschuss e.V. (中央不動産委員会) から「ハードウェア」部門で「ZIA Office Award 2019」を受賞しました。

2020年
アイコンの進化

ヘレン・フォン・ボッホが魅力的な球体を創作してから約50年。
ビレロイ & ボッホはユニークなデザインのアイデアを復活させ、今の時代に合うようモダンな「ラ ボウル」として進化させて新たな市場を開拓しました。

2021年
「テーブルウェア」からの脱却、そして「ダイニング&ライフスタイル」へ

製品ポートフォリオがより多様化している現状を踏まえ、テーブルウェア部門をダイニング & ライフスタイル部門に改名しました。
ビレロイ&ボッホが提供する製品は、今やダイニング テーブルを飾るだけでなく、家全体を特別なものにかえてくれる、そのような幅広い提案ができる唯一無二のブランド、それがビレロイ&ボッホです。

2022年
イノベーションでの受賞

ビレロイ&ボッホの模範的で革新的な取り組みが評価され、2022 年のドイツ中小企業部門「TOP 100 イノベーター」の 1 社に選出されました。

2023年
創業275周年アニバーサリー

275 年にわたる「より良い住まいづくり」の精神のもと、創業以来常に進化を遂げてきました。
家を整えることは、単にインテリアやホームウェアを揃えるだけでなく、ひとりひとりのアイデア、ライフスタイル、そしてくつろぎを実現すること。
これから先も、ビレロイ&ボッホは皆さまのライフスタイルへ寄り添い続けます。

2024年
アイディアルスタンダードグループの吸収合併

アイディアルスタンダードは、ビレロイ&ボッホグループの一員となりました。